最近燃え尽き症候群なのか、充実しててもなんとなく満たされていない、幸せなのに空しい気持ちになったりします。
なんでそんな気持ちになるのかこの週末、考えてみました。今年はやり遂げた事もたくさんあるし、本も合間にたくさん読んだ、引っ越しも落ち着いて今からが楽しいはずなのになんか満たされない。
言葉にしてみたらちょっと心の整理がつくかなと思い、日記にしてみたいと思います。
ノマドライフ・旅行もたくさんしてるのになぜ?
前回の日記で書いたノマドライフ。私たち夫婦は年の半分とまでは行かなくとも30ー40%くらいは出張や旅行を兼ねて自宅とは別のところで働いています。こんな生活を始めて5年目に突入しました。先週はハンブルグに出張に行って、5つ星ホテルに泊まって午前中はプールサイドで仕事、午後・夜はミーティングで美味しいお酒も飲めてご飯もたべれて、今のところは事業も問題がなく。夫婦仲も良くて。立ち止まって見るととっても幸せなのに何がそんなに満たされないのか??
こんないい生活が出来ているのに何がそんなに不満なのかじっくり考えてみたところ。
こんな生活に慣れてしまったんじゃないか?
という答えに辿り着きました。
ハンブルグはパリやロンドンに比べるとホテル価格も安く、出張は毎回いいホテルに泊まって、ステーキの美味しいレストランで接待っていうのが定番のコースだったので楽しかったけど最初の年のような感動が無く。3年目の浮気じゃないけど同じ生活を3−4年続けると贅沢な話ですけど慣れと同時に飽きが出てくるんじゃないかなって思いました。すごい!とか素敵って感じていた事も慣れて来ちゃってはただの仕事の延長にしか見えなくなって来たのが原因でしょうか。
前は出張とか旅行のプランニングするのも楽しかったのに最近は「あーまたか、ホテルもレストランもどの国も一緒!選ぶのめんどくさい!」という気持ちが強くなって来ました。
今やっている仕事がお金をもらえなくてもやりたい事か?
結構ズバリとくる問題点がこの仕事が好きか?という点。
好きっちゃ好きなんですけどね。色々と楽しい事もあるし。でもお金がもらえなくてもこの仕事するかと聞かれると迷います。
お金がもらえなくてもやる事、もしくはやっている事ってなんだろうと考えると:
*運動 *映画やテレビシリーズを見る *本を読む *ブログを書く
くらいですかね。趣味が少ない!
自分のやりたいことが見つからない、っていう人は8割・2割の法則を考えるといい、とMark Mansonさんのブログで読んだんですが。日常の8割の幸せは2割のアクテビティから来て居て、(What do you spend 20% of your time doing that gives you 80% of your happiness?)それを判断してその時間を増やすのがいいと。逆を返せば私たちは8割の時間を2割の幸せに費やしているって。
まさに私の場合は仕事時間がそうなのかも!
ちなみにこの80/20の法則をこんなことにも当てはめて考えながら無駄を省くんだとか。
What are the 20% of your possessions you get the most value out of?
Who are the 20% of people you’re close to who make you the happiest?
What are the 20% of the clothes you wear 80% of the time?
What’s the 20% of food you eat 80% of the time?
訳
価値のある所持品の20%が多分あなたの持ち物の80%(8割)を占める
周りにいる人であなたを幸せにする20%の人が多分あなたの幸せの80%
持っている服の中の20%が8割型着ているもの
食べる物の20%が8割型食べているもの
これに基づいてなるべく必要ないものを排除して行くとどんどんいいものだけが残って行くという仕組み。
ミニマリストに生きる=ストレスを抱えないように
私たち夫婦、物をほとんど所有してません。引っ越すときもスーツケース1人1−2つに持ち物がほぼ全部入ります。ベルギーに引っ越すときはスーツケース大6つでしたが、その中にはフライパンなどの調理道具やシーツ、タオル等の生活用品も入って居たので所持品自体は少ないんです。コートは2着、靴は6足。特に旦那は物欲もあんまりなくてボロボロのT-シャツとか普通に着てます。新しいのを買ったら1枚捨てる、と言う具合に。
お皿、調理用具も少なくてコンロ自体は4つあるのに鍋・フライパンは3つしかないとか。
お皿も3人で6枚。朝ごはんと昼ごはんに使ったら洗うしかないです。
ものが少ないから散らかりも少なくて、ストレスが減ります。コップとか使ったらすぐ洗わないとないので散らかりようがない、ってのもあります。
それに加えてお掃除が苦手な私たちは週に1回お掃除に来てもらってます。物がなくても使ってれば部屋も家も汚れるのでメインは床と表面の掃除ですがそれ以外は食器洗いと洗濯以外は特に何もしません。
でもそれってどうなの?ってたまに思います。新しいものが増えないので秋服買いに行かななきゃ!て思う事もないし、正直靴がボロボロ過ぎて靴底が剥がれたのをアロンアルファでくっつけている自分を見て、これで良いのか?私?って思ったりします。
楽しいことばかりでもダメ:苦しくないと楽しくならない?
運動とかしてて、特に思うのがトレーニングは苦しければ苦しいほどその後の開放感やスッキリ感が強くなります。超頑張ってやった課題の評価がよければ喜びも大きいし、なんの苦労もせずに書いたレポートの評価がよければ「なんだ、ラッキーだったな」くらいにしか感じられません。
同じ仕事をしていると段々と慣れてしまって「よくやった自分!」というよりは「また出来た。でもそれは当たり前」になってしまいます。
自分のcomfort zone(居心地よいエリア)から出る事で最初はuncomfortable(居心地が悪く、未知のゾーン)ても新しい経験が出来たり、何かを成し遂げた経験がまた喜びに変わるんですが、最近の出張や旅行で行く場所も毎回同じ。その国にもルーティーンがあるような場所に行っても「あーまた前と一緒じゃん」っていう気持ち=慣れ+飽きと未知のゾーンに出くわさないから今までみたいにワクワクする事なく、苦しみもないから楽しみも少ないんじゃないかと思います。
と言うことは、80・20の法則の通り、Happyな時間を増やしたからってハッピーになれるかっていったら、やっぱり”苦”がないと”楽”が来ない気がするので仕事の疲れを癒す楽だから映画ばっかり見ててもその現実に慣れちゃってまた飽きちゃうんじゃないかなと思います。
毎日に刺激がない?
今の気持ちを話して見たら「刺激がないから退屈してるんじゃない?」って旦那に言われました。深く掘り下げると刺激はあると思うんですが5年前に旅行して居た時と違って旅行自体が普通になってしまった今、確かに昔の「刺激」自体が刺激的じゃなくなって来たのかなって思います。
もう一点は回復する時間が無いから刺激を避ける点。
例えば昔だったらオールで次の日仕事でも大丈夫だったし、週末に休めば回復できたのが子供がいると週末も容赦無く起こされるので万年疲労。その分、遅くなりそうな楽しい事も明日の朝が早いから、とちょっと避け・遠慮してしまったり。今ままでみたいに後先考えず楽しい事をするより守りに入った生活に引け目を感じているのか。
自分なりの結論
自分の会社で仕事もうまく行っている、でもそれに若干飽きと疲労を感じている。
家事などのルーティンワークもミニマリストに生きる事で省いたり外注している。しかしミニマリスト過ぎて何も買わない。
楽すぎて苦がないから楽しさが無くなった。
プライベートもそこそこ充実(趣味の時間も取れて、旅行もできる)だけど同じ場所の繰り返しで旅行がルーティーン化。
興奮状態みたいなのが普通になって来てちょっとした旅行の刺激なんかじゃ足りなくなって来てる、むしろその刺激がルーティン化してしまって来たからなんか物足りなくなって来たのか!
この対処法として2種類あると考えました。
1)慣れてしまった現状はともかく、それもそれで良いと捉え、慣れた状態に慣れる。
2)自分のconfort zoneから出るような新しいことに挑戦してまた刺激を求める。
具体的な例として:
瞑想してみる(リラックスできるため)
新しい知識を増やすもの
ベルギー語の勉強
仕事で使える会計や市場の勉強
SNS以外の情報・ニュース・音楽・映画・本
楽器を弾く
運動のバラエティを増やす・ジョギング以外にもテニスやロッククライミングを始める
新しいジャンルの料理をはじめてみる。
趣味を増やすのが手っ取り早い方法ですかね。成長している時ってすごく生き生き出来ますが今の生活は同じ事の繰り返しで。前は「クリスマスにアメリカ」ってウキウキしてたけれども5年もやればスペシャル感も薄れてしまってます。今年はそんな気持ちが打破できるように。残り少ない2017年ですが少しでもこのからっぽな気持ちが惡い事ではないという事、燃え尽きない程度に新しい事に挑戦しよう!と思って見た、という日記でした。