
”片付けられない”うちの母親のおうちを掃除しに行ったという話。
今回は「その後」の経過についてです。
パート1とパート2はこちら
前の記事を読んでいない方は、まずは百聞は一見に如かず。
先月、日本の実家に1ヶ月滞在して開かずの間になっていた、(兄は魔境と呼んでいた)和室を片付けました。
これがビフォー
これがアフター
同じ部屋とは思えませんね。
ちなみに他の部屋も掃除はしたんですが、和室が一番時間がかかってひどかった部屋です。
よく人に見せてるんですけど、反応は様々。
「思ったよりもひどい。」「本当に大変だったね。」「うちも似た感じの部屋がある・・」(ここまで酷くないけど、って追記で言われますが。笑)
”同情”が一番多いのかな。
よくここまで頑張ったね〜、お母さん喜んだでしょう?って聞かれます。
でも
“本当にそうなのかな”
って帰ってきてから自問自答しています。
というか帰ってきてから何かの魔物に取り憑かれたかのような気分です。あんなに大量の物を処分したけれどもなんか心が晴れないのです。(量にして、60リットルのゴミ袋100袋分、軽トラ一台分の粗大ゴミでした。)
もちろんもっとやる事があったのじゃないか、とかやり方が正しかったのか、もっといい方法があったのではないかと。
もしくはもっと意味不明なスピリチュアルなレベルで”母の物が泣いてる”みたいな。
汚い、物が沢山の部屋ってエネルギーの散らばり方が違うんだと思います。落ち着かないくらい物が沢山ある部屋に1ヶ月も居たので、多分その邪気が移って、もしかしたら物を処分する事に罪悪感を感じているのか、もしくは「なぜ一人の人がこんなに物を抱えて生活しているのか」という失望感なのか・・
あるいは「悲しくて物を溜め込んでしまっている」と仮定すると、お母さんはこんなに悲しかったのか、苦しかったのか、って思うと自分も悲しくなります。
昨日母と話すチャンスがあったので
「最近はどう?おうちがある程度片付いたけど、どういう気分?」かと聞いてみました。
母「まだ見つからないもの(お花の道具が入ったバックと知り合いから預かった書類が入ったバック)があるけど、ある程度は整理されているし、今は気になるところをさっと掃除できるようになったわ。
暑くなってきたから夏服を出す整理をしているけれども、クローゼットにもスペースが出来たのでわざわざ冬服→夏服とわざわざ衣替えしなくても使うものを年中同じ所に整頓出来そうな気がするのよね。
棚の配置もベット動かして向こう側にしたら使いやすくなりそうだから変えようかなって考えてるのよ。
今まで気になっていなかったホコリなんかも物が少なくなったから掃除がしやすくなった。
今まで取っておいたけれど、なんでこれ取っておいたんだろう、って思って、思い切って捨てたものもあるし、買ったけど埋もれてて着ていなかった服をこの間着てみたら褒められたの。」
と本人はやたらと前向きな感じ。
でも私の経験でわかっているのはその前向さも「実際に要らないものを捨てたりあげたりする行為に繋がるか」まで見守って、ようやく母も”片付けられない”から脱出するのであって、今一歩まだ足りていない気がするから少しモヤモヤしているんだと・・。
例えばね。
母「カブトももういらないけど、箱がボロボロだから新しい箱が見つかったら誰かにあげようかな」
→私の見解だと「綺麗な箱、ちょうどいい入れ物の箱」が見つかるまでこのカブトは結局家から離れないって事でしょ?
母「あなたの旦那が掃除してくれた外の階段、もう雑草が生え始めているからセメント買ってきて土の部分を埋めちゃおうと思うんだけど、いいセメントがなかったのよ。」
→いや、セメントなんか買ってきてもゴミになるだけですけど・・そんな日曜大工みたいなスキル無いでしょ。雑草が再度生えてこないようなオーガニック除草剤とか撒いたり、月一回きて貰うように誰か雇ったら?その分払うよ、というのですが聞いていません。
片付けられない人、あるある。
同じものが無数にある。(でも同じ場所じゃなくて色々な所に。)
物が捨てられない、捨てれない理由が全ての物にある。
例えば新聞。この新聞は日付が大事だから取っておきたい、それなら一面だけ取っておいたら?と言っても不十分で全部取っておきたい。
収納便利グッツが沢山ある。でも使われていない。
引き出しの中がスカスカ?ではないが、何の目的なのか分からない小物がごちゃごちゃになっている。そしてなぜかいつも小銭とかクリップが入っている。
ゴミが汚い。(ベタベタしたケースとか、ほこりまみれのもの。)
片付いた後もぐちゃっとしてる(物が多いから結局綺麗に見えない)
本棚に本では無いものが沢山入ってる。(隙間とかにアロマオイルとか包帯とか。細長いケースのもの)
ゴミがいつも同じ。(さっきもこれ、10回くらい捨てたよね、っていう物が後から後から出てくる。割り箸とか手のふきんとか)
いざ必要なものは出てこない。
絶対この辺にあったのにー!と思いつつ新しいのを買ってくる。(これが物が無数にある原因なのだが・・)
新しく買ったものもなぜか袋ごと無くなったりする。
常に物を探している。
自分の持ち物も消えて無くなる。
座って落ち着ける場が無い、少ない。
冷蔵庫がすごくいっぱい。(同じものもちらほら)
賞味期限ぎれの物も「缶だから大丈夫」とか「お茶だから大丈夫」の理由で保守。
「いるものといらない物に分けてね」とお願いするといらないものの箱が圧倒的に少ない。
今まで使ってなかったら捨てていい?という物の使い道を見つけるのが得意。
すぐ飽きて違うことをしたがる。
全部自分で出来ると思い込んでいる。
周りに手伝いを求めたく無い、自分で出来るはずだから。
常に掃除の事が頭にある、けど時間をかけても全然進歩しない。
あげれば無数にありますが、とりあえずこれくらいで一旦ストップ。
ホーディング(溜め込み症)を持つ母の元で育った記憶
小さい頃からうちの母って荷物が多いな、って感じてました。Just in case ”念の為” が口癖で、外が暖かいのに幼稚園のバックにいつもジャケットが入ってるのが邪魔だな、という記憶があります。その”念の為”のジャケットを使う事なく1年過ぎたのを覚えています。
(だって毎朝着替えてから出て行っているワケですから。)
彼女の家の中にあるものはほとんどがこの”念の為”用品な気がします。
そして何か大きなトラウマがあるたびに、”念の為”リストが増えるのです。
例えば神戸淡路大震災。いとこの家族が神戸なので「蛇口をひねっても水でないから困った」という話を聞いたので、各部屋には水のボトルが2−3本あります。確か靴もあった記憶があります。
東日本大震災の後からはスーパーやコンビニからパンがなくなったので今は冷凍庫に必ずパンを常備してます。
父が亡くなってからはとりあえず日本語で届く書類は取っておく、重要なものがあるかも知れないから、というのが和室を魔境を招き入れたのです。
こうやって書くと「ちゃんと考えていて、しっかりしたお母さんじゃない」って思いますが、これが家にある全てのものになってしまうと魔境みたいな問題になります。
なんでこれ捨てないの!と喧嘩になった物
●有効期限が15年ほど切れていた薬
元々母は薬を飲まない主義なので期限も切れているし、「捨てちゃっていい?」と聞くとダメ。「飲むの?」と聞いても、飲まないけど、その薬の名前が分からなくなるからダメとの事。
じゃあ箱の写真撮っておいたら?箱だけ取っといたら?と色々試しましたが箱ごと保守。その箱はというと和室の押入れに入れちゃったから「え、必要な時に名前結局分からないじゃん」という結果。
●箱いっぱいの新聞
さっきもちらっと触れましたが、この箱に入ってる新聞は捨てていい?と聞くともちろんダメ。一個一個にい思い入れがある日付ばかりだそうです。
それが「孫が生まれた日」とかだったらいいんですけど、(それもあったけど孫1人分だけで後3人はない)「父が亡くなった日の1週間後くらいの新聞」でその時は新聞を読む気にならなかったから、という理由で残したり。それは見て気持ちの良い思い出でもないからさっさと手放した方が良いと思いますが・・。本人が残したい、というなら文句は言えません。
●バーベキューセット
25年くらい使っていないバーベキューセット。実は粗大ゴミを出す時に兄がこっそり捨ててました。それに母は激怒。
その理由も「私は使わないけどあなたたちがお友達呼んで使えたかも知れないじゃない!」って怒っていたから笑っちゃいました。私もお兄ちゃんも要らないから、捨てて良かったんじゃない、って言ったら「それはそうでも、勝手に捨てられるとリスペクトされていないきになるから嫌なのよ」だそうです。
必ず家主の了解を取ってから捨てる事ですね。
この日記を通じて何が言いたいかというと
人のおうちを掃除、手伝うのは体力と、精神的にもタフさが必要です。
特にホーダー、溜め込み症の傾向がある人は何を捨てるにも抵抗します。(それが定義なんですけれどもね。)
ホーダーの定義は価値のあるものも無いもの(不用品、ゴミ)も溜め込んでしまう。15年前に有効期限が切れてしまった薬ははたから見たらゴミでも「ゴミ」では無いし、日付の入った新聞も読む訳でも無いのに捨てられない。
部屋を片付けられない人はだらしがないから片付かないと思ってたんですが、母を見ていると私より掃除、片付けをしている、考えている時間がはるかに長いのです。
片付かないのは完璧主義やホーディング(溜めこみ症候群)という心理的に物を捨てることに苦痛を感じるから。
完璧主義な人が多い、だから見た目小綺麗な人が多いんです。
物が手に入りやすくなったけど、捨てるのも困難になったこの世の中で完璧に捨てよう、人に渡すなら最善の人に渡したい、と思っていると捨てようにも中々捨てられなくなるのです。
ホーダーの人のインタビューを聞いていたんですが、寄付する箱を用意して、車に入れて、団体に持って行く途中に「待てよ、この団体より良い団体があったらどうしよう」と考えた挙句パニックになって結局あげられなかったという事をお話ししてました。
物が感情があるかのように泣いたり叫んだりするんですって。普通の人から考えたら物は物何ですけど、体の一部が捨てられるように身体的な痛みを感じたり、不安を感じる、そうです。
まとまりが悪くなりましたが、人口の2−5%の人が苦労するというホーディング(溜めこみ症候群)の認知度が上がればな、と思っています。
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